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2021/8/25
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日大山形校歌から日本大学の歴史を考える |
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今回夏の甲子園高校野球を見て、歌い出しがボーイズビーアンビシャスで有名な大好きな日本大学山形高校校歌を聴いて、日本大学OBとして同大学の歴史を考察(私見)したいと思います。まず、同じく附属高校である日大東北高校の校歌は大学校歌とまったく同じです。さだまさし作曲の岩瀬日大高校校歌も名曲と思います。一度甲子園で聴きたいと思います。さて、附属高校は現在、目黒日大高校を加えて24校です。日大第1~3高校の特別附属(戦前からの本来の附属旧制中学(現在の高校)、戦後財閥解体により、資本関係独立)、日大〇〇高校の附属(日本大学資本の附属、戦後第1~3中学を失ったため、多数設立。ただし、日本大学高校(通称日大日吉)は旧制第4中学)、〇〇日本大学高校の準附属(日本大学とフランチャイズの準附属契約を結び運営する地元独立資本校。大学と資本関係なし)と3種類に分かれます。ただし、種類によって日本大学への附属入学試験である統一試験の選考基準に変わりはありません。なぜこのように附属高校が多いのかは敗戦という歴史が関係してきます。日本大学は明治天皇の勅命により設立された皇典講究所(神道の研究機関)から連なる明治22年創立の日本法律学校が開始です。そのため、同じ皇典講究所からの歴史を持つ國學院とは同系です。いわば明治天皇が設立にかかわった官立(国立ではない)大学です。設立者は時の司法大臣山田顕義です。そのため、日本という国名使用が許されたと思われます。戦前は当時の早稲田大学の1/3程度の学生数約3千名の小規模校でした。しかも戦前は司法及び高等文官試験トップ3(東大、中大、日大)の司法、官僚養成大学(司法の日大と称す)でした。また、戦前から医、歯、農獣医(現在の生物資源科学部)、工(現在の理工)の理系学部を有する珍しい学部構成でした。御茶ノ水に医歯工、水道橋に法文(芸術課程あり、後の芸術学部)経、世田谷(現在の文理学部)に予科(現在の教養課程)、附属校として第1~4中学を有する小規模大学でした。ところが敗戦により、状況は一変しました。国名使用と天皇との結びつきが強い歴史のためか財閥解体により第1~3中学の附属校を失い、大学倒産の危機に陥りました。そのため、経営面安定の必要性から、附属校増加、学部独立採算制等の拡大路線に舵を切り学生数が大幅に増えていきました。 |
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