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2024/12/19
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元日産社員を父に持った家族から見た日産問題を考える |
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現在、日産とホンダの経営統合の話が世間の話題になっていますが、元日産社員を父に持った自分が感じた日産の経営不振問題について考えてみたいと存じます。 私の父親は昭和40年代前半に入社し、平成に入って間もなく退職後早々に亡くなりました。当時は派遣制度などはなく全員が正社員でした。当時は正社員という言葉もなく、普通に社員と呼んでいました。父の業務内容は工場内事務所所属の総務系の仕事で、当時の社長の義弟も同僚でした。昭和40年代は国内販売比率の差もトヨタと大差なく数%の差で国内2位でした。昭和20年代後半までは国内販売台数1位だったが労働争議で生産が長期ストップしたため以降2位に落ち復活していないと父はよく言っていました。当時は普通に社員が販売ディーラーを通さずに会社から直接車を購入できた時代です。ちなみに当時の社員用カタログを見た記憶ではハコスカGT‐Rが150万円で普通のGTは100万円以内で購入できた記憶があります。GT‐Rが50万円ほど高かったと思います。父も退職間際に所属部署が子会社化し、まだ日産社員としての出向扱い勤務でしたが、現在は完全別会社となったようです。まだゴーンが来る前の話です。父はさすがに所属部署全体がリストラに近い扱いとなった退職後も勤務していた会社のことは悪くは言わなかったですが、母は役員のみが責任も取らずいい思いをして一般従業員のことを大切に扱わないひどい会社だとよく言っていました。 さて、ここで日産自動車の歴史を振り返りたいと思います。ちなみに自宅には当時の社員しか持っていない父が残した「21世紀への道 日産自動車50年史」という分厚い社内本があります。その本を参考に振り返りたいと存じます。日産自動車は鮎川義介が創立した旧日本産業財閥に連なる自動車製造部門の会社です。社名はそこに由来します。日立製作所なども同じ日産財閥の会社でした。戦前は三井、三菱、日産と三大財閥の一角を占めていました。戦後の財閥解体により日産自動車として独立しました。その流れのためか、実力以上にプライドが高い官僚的な会社と言ってもいいと思います。父親在社当時は取締役社長と言っていました。普通に代表取締役社長と言わないのはなぜかと思い父に役員名簿を見せてもらったところ代表取締役が10名以上いるため、あえて代表取締役と名乗らないことがわかりました。また、当時から一般社員と比較し役員の待遇が圧倒的にいい会社でした。そのため、悪く言えば車など全く興味もないのに大会社だから入社した取締役以上の幹部社員も多くいたということです。現在の凋落を見ると車をよく知っている人は役員として残れず、車のことをよく知らない人の方が社内人事で優遇されてきたとさえ感じます。例えば日立製作所や本田技研のようにメーカーはトップに理工系出身の人を立てた方が発展する傾向にあると思います。文系でも少なくとも現在のトヨタ会長のように車が好きな人でなければメーカーは発展しません。物づくりに興味もない人が数字に明るいとか語学が堪能との理由でトップになったメーカーの多くはだめになる傾向にあると東芝や日産問題から率直に感じます。メーカーのトップはソロバンはじきよりも技術を理解する能力の方がはるかに重要です。また、一般社員を大事にしない会社も同様です。以上、父親が社員だった家族の日産に対する素直な感想を述べました。
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