2024/12/16

水道橋に行きました

 
本日晴天のため、東京に向かう高速バスの車中から富士山が綺麗に見えました。
所用で久方振りに東京水道橋に行きました。自分の学生時代の呼び名は三崎町でしたが、現在の地名は神田三崎町です。千代田区の歴史によれば江戸幕府が開かれる頃までは、三崎村と呼ばれ、日比谷入江に突き出た土地の端からミサキの名がつけられたそうです。江戸幕府による神田山(現在の駿河台にあった山)を削ってできた埋め立て地です。
さて、時間があったため、神田三崎町に明治22年創立された日本法律学校系譜の我が母校日本大学法学部付近を散策しました。白山通りに面する経済学部の校舎も建て替え中です。法学部旧3号館跡地にあったフットサル場も閉鎖し3号館新校舎建設が始まった様子です。後方に見える茶色の建物は法学部10号館です。自分の学生時代は大塚商会の本社があったと記憶しています。ガラス張りの建物は現法学部図書館です。OBは図書館を利用できるようですが一度も入館したことはありません。自分たちの頃は悪名高き大学本部でした。当時はまだ全共闘系の法学部闘争委員会が存在していたため、本部解体のシュプレヒコールがたびたび起っていました。我々が卒業してから本部は九段に移転し現在至ります。日本大学は所謂ホールディングス制のため、各学部独立採算制により他の学部のことはよくわかりません。そのため、大学全体としての連帯感が薄いと言われますが、それが変に固まらないいい面でもあります。写真の神社は三崎稲荷神社で水道橋駅東口の目の前にあります。3号館は神社の通りを挟んで左前方です。水道橋駅東口から早歩きで徒歩1分の近さです。法学部は同神社の氏子であり三崎稲荷神社の祭には法学部有志が神輿担ぎに参加しキャンパス内にある神社と言っても過言ではないほど密接な関係です。また単位取得を祈願する法学部生も多いとも言われています。法学部は伝統的に卒業することが難しいため、自分はいまだに単位を落とす悪夢を見るほどです。日本大学法学部は所謂キャンパスがないとよく言われますが、学生の多くは水道橋の神田三崎町の街そのものがキャンパスと考えているため、何ら問題ないと思います。ちなみに自分はそうでした。田舎生活をしている今考えると水道橋駅近くの都心キャンパスで学生時代を送った経験は自分にとって大きな財産です。